インタビュー

「東京一の飲食店を創る」―ポンコツからカリスマへ、国分寺「食堂 猿乃拳(モンキーパンチ)」オーナー RYO の軌跡(後編)

(株)猿屋一家にて店⻑・ベトナム出店を経験し、猿屋一家の最高月商を記録するなど一回りも二回りも大きくなった栗原氏。しかし、試行錯誤の日々は続く。2022年4月、満を持して独立したが、当初の構想とは大きく変わったという。なぜ独立しても国分寺を選び、 猿屋一家から猿酔家を引き継いだのか。後編では新たに立ちはだかるミッションから国分寺出店に込められた想い、そしてもう一つ叶えたい夢について語ってもらった。

「東京一の飲食店を創る」―ポンコツからカリスマへ、国分寺「食堂 猿乃拳(モンキーパンチ)」オーナー RYO の軌跡(中編)堕落しきった大学時代に見つけた一筋の光。それが当時(株)猿屋一家が運営していた居酒屋「猿酔家(サスケ)」だった。猿酔家との出会いで栗原氏...
「東京一の飲食店を創る」―ポンコツからカリスマへ、国分寺「食堂 猿乃拳(モンキーパンチ)」オーナー RYOの軌跡(前編)2022年4月、東京都国分寺市にオープンした「食堂 猿乃拳(モンキーパンチ)」のオーナー RYOこと栗原 遼氏。それまでは国分寺を中心に...

新たなるミッション

できなければ給料ゼロ

 「10月、猿酔家の前年比超えないと給料ゼロな」

ベトナムから帰国後しばらくして藤野さん(猿屋一家 代表取締役)に言われました。「じゃあ達成したら給料倍にしてください。藤野さんとの約束、絶対やり切りますから。見ててください」。

強気で出たものの、10月は壊滅的状況。このままじゃやばい、どうする?と考えた末に思いついたのが「Good-Bye RYO Week」。11月にオープンする新店・サカバサルの立ち上げで猿酔家から離れることが決まっていたので、10月最終週にイベントを開催することにしました。


(破格すぎる内容で多くの人の度肝を抜いた同イベント。予想以上にヒットし、怒涛の巻き返しで前年比を超えられた)

3,000円で1週間飲み放題。期間中、1回3,000円をお支払いいただければ何回来てもOK、食事代は別途いただくという内容でした。これが大当たり。初めてのお客様にもたくさんご来店いただいて、無事に前年比をクリア。藤野さんとの約束を守れたことが何よりもうれしかった。

藤野さんは僕の限界ギリギリのところを見極めて挑戦させて、成功体験を作ってくれる。無茶苦茶なことも言われましたけど(笑)、そうやっていつも僕の成長をいつも後押ししてくれました。

完コピからのクリエイティブ

 新店舗・サカバサルは中華業態。僕に与えられたミッションは「二癖加えた日高屋のアップグレード店」にすること。ベトナムと同様に料理監修を任されました。

メニューを作る時は必ず名物を決めてから、それを引き立てるメニュー構成を考えます。メニューのアイデアはこれまで行った繁盛店。感銘を受けたメニューは舌だけでなく頭でも味わうようにしています。材料・味に分解して、翌日に再現する。そこから自分流のエッセンスを取り入れてオリジナルを創り上げていく。これがメニュー考案の流れです。最初は完コピ。そこから全てが始まると藤野さんから教わりました。


(ありそうでなかった斬新なメニューはこれまで蓄積した繁忙店のデータベースをフル活用して創り出す。「クリエイティブは完コピから」と断言する栗原氏)

当時考えたサカバサルの名物は蒸しつくねと茹で牛タン。蒸しつくねは福岡にある捏製作所からインスパイアしたものです。レシピはわかった。でも単につくねじゃひねりがない。そこで思いついたのが、一旦麺。小籠包や餃子は皮で包まれている。これだ! と思って一旦麺で包みました。

僕より料理を作れる人はごまんといる。だからこそ、僕は考えることは負けたくない。誰よりも考えて店づくりを追求する。いろんな店へ行って、向き合って、吸収して、考え抜いてオリジナルを創り上げる。

飲食業は全てがクリエイティブ。だからこそ僕は一生考え続ける。目で見て頭で考えることを繰り返すんです。

非公式エリアマネージャーに

サカバサルの立ち上げ終了後、エリアマネージャーになりました。でもこれ、非公式なんですよ(笑)。「役職ないとできない奴はいつまでもできない」と藤野さんに言われて。肩書きは店長、実質はエリアマネージャー。これが一番しんどかった。

何がしんどいって、振る舞い方が悩ましい。既にどの店舗にも店長はいるんですよ。だから別に僕がいなくてもいい状況。店長からすれば、自分と同じ役職から指示される。何からどう取り組めばいいのか。これが本当に悩ましかった。どこからも必要とされていないと思いました。

どの店も既に形になっている。でも、今がマックスの状態ではない。改善の余地があるし、今は小さいけど先々問題になってしまう部分もある。もう一回その店を見て状況を把握し、ブラッシュアップできるところを見つけて一つひとつクリアしていきました。

本音を言えば、実際にどこまでできたかわからないです。ただ、これまでと違う視点で店づくりについて考えられた。各店舗の状況に応じてブラッシュアップする。その必要性を体感しました。

第二章、開幕

最強トリオ誕生

左から斉藤氏、栗原氏、作左部氏。猿乃拳にて。三位一体で東京一カッコいい飲食店を目指す。

20歳の時にヒロと誓った「猿酔家を超える店を創る」。そこに軸(作左部 軸丸氏)が加わりました。

第一回目の緊急事態宣言中に、僕とヒロ(斉藤 広朗氏)と軸丸で猿子(猿屋一家の串焼き業態)に入ったんですけど、めちゃめちゃ楽しくて。ヒロとはずっと親友だけど、そこに軸が入ったら最高に楽しい。毎日朝からみんなでずっといました。

僕とヒロの会社は「好きな人と好きな仕事をする」と決めていた。だから、軸にも入ってほしかった。ヒロも賛成で、軸を誘ったら二つ返事で決定。

ヒロは僕との約束のために京都祇園へ料理修行に行って、猿屋一家に入社。離れている間も腕を磨きつつ、客観的に僕を見守ってくれました。軸は僕がアルバイトの頃から猿酔家で一緒。いつも隣で一歩引いて僕をフォローしてくれました。僕が「店長RYO」を確立できたのも軸のおかげです。大学卒業後、就職先が決まっていたのにそれを蹴って「遼と一緒に働きたい」と猿酔家に入社しました。

そんな2人と東京一カッコいい飲食店を創る。この3人なら絶対にできると確信しています。

26歳の転機ーそして第二章へ

本当なら独立は今年の7月、出店先は中目黒と考えていました。その考えが大きく変わったのが昨年の生誕祭です。

2021年7月に実施した26歳の生誕祭。来店人数100名以上。国分寺飲食店史上に残る脅威の売り上げを叩き出した。

本当にたくさんのお客様に来ていただきました。あの景色、絶対に忘れません。乾杯で国分寺を一つにする。これを実現できた最高の時間でした。

僕がここまで来れたのは他ならぬお客様がいたから。それなのに、独立したら中目黒に行くなんて恩を仇で返していないか? ずっと僕を見守ってくれた藤野さんに何も恩返しできてないじゃないかと思ったんです。

今でも中目黒は憧れです。でもその前に、僕を育ててくれた皆様に国分寺で恩返しをする。国分寺の飲食店を盛り上げる。これを経てから都心進出をすると決めました。その第一歩が食堂 猿乃拳(モンキーパンチ)です。

猿酔家の隣に構えた食堂 猿乃拳は「羽釜炊き白米」を主役に、ごはんのおともになる絶品つまみを用意。調理もエンタメになるオープンキッチン、ザ・食堂の雰囲気が漂う小上がり、半個室、コミュニティテーブルなど新旧入り混じるクールな店内。

そして猿酔家。藤野さんから引き継がないかと提案されました。何よりも憧れ、僕を育ててくれた場所。引き継いで今まで以上の店にすることが藤野さんへの恩返しになるのでは? と考えました。

目標は変わっていません。東京一カッコいい飲食店を創る。構想はあります。実現できる自信もある。

でもまずは地固め。3人で掲げた浪漫に向けて地下から国分寺を盛り上げる。僕の飲食人生第二章はその時期だと思っています。

まずはこの2店舗から始めようと決めました。

飲食の父へ

猿屋一家で働いた約7年間が血肉となり、今の僕を形成しています。楽しい時も辛い時も、全ての時間に必ず藤野さんがいました。時には反抗し、たくさんお叱りも受けましたが、それを上回る愛情を注いでいただきました。

ちゃんと言うことの大切さ、誰に対してもフラットに接する姿勢など、飲食人として、人として藤野氏からたくさんのことを教わった。

大社長なのに誰に対しても自然体で、何もわからなかった僕に1から100まで教えてくださり、飴と鞭を駆使して僕を引き上げてくださった。飲食人として生きるリアルな覚悟、そして乾杯を交わす楽しさを教えていただきました。

僕にとって藤野さんはもう一人の父のような存在です。いつか僕も藤野さんのようになれるように、より一層の努力をして、誰よりも飲食業を楽しもうと思います。

藤野さん、今まで本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。

もう一つの夢

もう一つ。絶対に叶えたい夢があります。それは祖母の店・スナックシローを引き継ぐこと。

祖父と始めた店で、今年50周年を迎えます。祖父が亡くなってからも一人で切り盛りして、今も現役です。

元シャンソン歌手の祖母。その美声は今も来た人を唸らす。

祖母は誰に対しても平等な人。愛を持って接するスタンスは昔から変わらない。77歳の今でも新しいお客様が後を絶たないんですよ。店もタクシーで行くような立地なんですけど、わざわざ来てくれる方も多くて。飲食人として、商売人として尊敬しています。

祖母にとってたくさんの想い出がこもったこの店だけは、絶対に誰にも渡したくない。形を変えても僕がここで飲食店をします。

祖父母がシローを開店したのも20代後半。僕が独立したのも26歳。ちょっと運命的なものを感じます。

だからこそ全部やり遂げます。

自分のためにも、仲間のためにも。周りにいてくれる全ての人のためにも。

今は駆け上がるのみです。

(第三章へ続く)