インタビュー

今が人生のボーナスタイム、最高に楽しいです【魚と出汁 くぐい 店主・西尾 磨幸さんインタビュー 後編】

28歳で前職を退職後、居酒屋という“場”に惹かれて飲食の道に進んだ「魚と出汁 くぐい」の店主・西尾 磨幸氏。転身当初「夢のまた夢」と思っていた店を開けるまでの道のりには周りからの温かい力添えがあった。後編では、くぐい誕生秘話から現在の想いを伺った。

居酒屋が苦境の僕を救ってくれた【魚と出汁 くぐい 店主・西尾 磨幸氏 インタビュー(前編)】「居酒屋は“場”が命なんです」―そう語るのは、国分寺駅北口にある「魚と出汁 くぐい」店主・西尾 磨幸氏。飲食道に進むことになったのは、自...

宮城の味を届けるまでの道のり

最初に勤めた「炭火家 おだづもっこ(以下、おだづ)」のオーナーは宮城県気仙沼出身。東日本大震災を経験した身として「宮城の人間は元気にやってるぞ」というメッセージと、「宮城を元気にしたい」という想いを込めて、おだづを出店しました。当初は宮城のご当地グルメ・炭火焼きの焼き鳥の2本柱でいく予定でしたが、徐々に炭火焼きメインに。僕が入ってから宮城色を濃くしようと言いながら、宮城に仕入れルートがないことを理由に止まったままでした。それで僕が港町・気仙沼の海鮮と宮城各地の地酒のルート開拓のために行ったというわけです。

宮城へ出発前の一コマ

これにはもう一つ理由がありまして。その頃、大磯ロングビーチ以前の店長不在事件、それ以降バタバタとしたことでお客様にもご迷惑をかけてしまい、その影響で客足が遠のいていたんです。「もうこの店だめだ」と凹むオーナーを見て、これはいかんと。

オーナーはもとは接客が好きな人。なのに、現場に出たがらなくなってしまって。僕はオーナーの接客に救われた一人。だから、絶対に復活してほしかった。僕が宮城に行くことは強制的にオーナーを店に出てもらう術でもあったんです。

一番はオーナーの想いを早く形にしたかった。あと、僕がイラチ(関西の方言で「せっかち」「事が進まないまま停滞している状況が耐えられない人」のこと)なこともありますけどね(笑)。

宮城県気仙沼にて
被災状況を物語る写真。被災後も現地の人は日々力強く生きている。

無事、魚も日本酒もルートを開拓。その頃にはオーナーも少しずつですが勇気を出して店に立つようになり、徐々にまたお客様に足を運んでいただける状況になりました。そんな流れのなかでオーナーから「そろそろにいやんがやる店の話、動き出してみない?」と。

それを機に、新たに出店することになりました。実は僕が入った当初から「いつかにいやんの店を出したい」と言ってもらっていて。当時の僕にとっては夢のまた夢。けれど、オーナーも修行先の先輩も最初から僕がひとつの店を持てるようにと計らってくれていたんです。くぐいをオープンできたのは周りの方々がいてこそ。本当にありがたいとしか言いようがないです。

居酒屋が死んでいない街

国分寺は縁もゆかりもない場所。物件を見にきたのは本当に偶然です。たまたま空いている物件があるからと内見した日に決定(笑)。

決め手は国分寺の街そのものです。しばらく駅前で座っていたら、行き交う人が何気なく目についた店に「あそこ入ろっか」と入っていって。それを見て「この街、居酒屋が死んでいない」と確信。都内なのに都会っぽくないところも気に入ったところです。

街だけでなく、人も良い。店を開けてからお客様が本当に素敵な方ばかりで、いい街に出会えたと実感しています。

店名に込められた想い

出汁への想い

店名に出汁を入れたのは、僕が魚の旨味と出汁の絶対的な安心感に惚れ込んでいるから。

出汁ってどんなコンディションでも食べたくなるじゃないですか。お茶漬けがその例で、体調が悪い時に食べると元気になるし、仕事帰りにふと食べたく時もある。ホッとできる味を届けたいと思って取り入れました。

くぐいが持つ2つの意味

「くぐい」には2つの意味を込めました。魚もあらもその時々の状態や調理の仕方で変化する。だからこそ、いかなる時でも一番良い状態を射抜きたい。料理だけでなく、お客様のご利用シーンに応じてベストな接客を見極めて対応したい。 “的を射る”意味を持つ言葉を探している中で見つけたのが「正鵠」でした。

正鵠とは弓道で「的の真ん中」「急所」を意味します。「鵠」単体は白鳥も意味していて、白鳥の鳥言葉は「初心」「純真」。常に初心で、真っ直ぐにやっていこうという想いを込めて、ダブルミーニングでひらがなの「くぐい」にしました。

(西尾氏の直筆。熱い想いが胸に響くので必読!)

開店後に思うこと

今が人生のボーナスタイム

スタッフとの一コマ。プライベートでも飲みに行くほど仲が良い。

20代までは生きづらくて、ガチガチに尖っていました。幼少期からはぐれ者、中高の頃は問題児。とにかく我は強いし、表現下手で自分の考えをうまく伝えられなかった。しかもこだわりが強くて不器用。そんな性格だから家族とも一時期疎遠になっていました。そこからの28歳でうつ病になって退職。30歳まで生きることはないと本気で思っていました(笑)。

でも、いろんなことを経て肩の荷が降りたというか。無理に自分を主張しなくてもいいし、ありのままでいればいい。もう好きに生きようと思えるようになったんです。そう思えるようになったのは飲食の道に進んだから。

居酒屋があったから僕の道は拓けたんです。だから30歳以降は僕にとってボーナスタイム。今が一番楽しいし幸せです。

店を構えて良かったと思う瞬間

店を構えて良かったと思うのは…冗談抜きで毎日あります。

たくさんあるなかでも一番良かったと思えるのは、お客様をお見送りする時。お客様に楽しんでいただけたかどうかは、背中を見るとわかるんですよ。複数でご来店いただいている場合、帰り際のさりげない会話が弾んでいると楽しんでいただけたのかなと。この瞬間が一番好きで、居酒屋をやって良かったと思える瞬間です。

お客様にベストを尽くす、その積み重ね

お客様から一杯いただく西尾氏。くぐいには定番のお酒から絶品の宮城県産日本酒を取り揃えている。

よく料理人とか職人と言われますけど、そんなこと全くないです。店も小料理屋や割烹みたいと言われますが、うちの店は何がなんでも居酒屋。居酒屋に来たお客様が主役になることだけを考えて毎日営業しています。目の前にいるお客様に全力を尽くす。この積み重ねのみです。

今はまず、この店の環境や質をしっかり固め続けること。規模を大きくしていくと言うよりも、今この場を求めて来てくださる方々に尽くせる範囲をより広めながら、深めていきたい。次の店舗云々はその結果論、延長線上として、考えられる資格が得られた時に選択肢のひとつとしてテーブルに並べたいと思います。

2022年で2年目とまだ成長途中の店ですが、これからも暖かく見守っていただければ、それが一番うれしいです。これからもお客様が主役でいられる居酒屋であり続ける。どんな状況になってもこれが僕の目標です。

 

【魚のパラレルワールド】魚の可能性を広げ続ける居酒屋「魚と出汁 くぐい」国分寺グルメ第1回目にご紹介するのは、2021年に彗星のごとく現れた「魚と出汁 くぐい」さんです。産地直送の新鮮な魚介をお酒と合う格別な...